教育移住離島の再生

子どもの教育で、離島を選ぶ人がいる。

— 島根県・海士町、廃校危機からの問い直し

人口約 2,200 人の離島に、全国から子育て世代が移住している。動機は観光でも自然でもなく、「この高校に通わせたい」だった。隠岐島前高校が問い直した「教育の場所」という問いは、日本中の親の選択肢を静かに広げつつある。

子育て編集チーム2026 年 5 月公開海士町公式・e-Stat 住民基本台帳 + 隠岐島前高校公式・総務省資料

この記事で分かること

  • 島根県海士町(人口 2,196 人、2024 年 1 月時点)は、2010 年代以降に「教育移住」という現象が起きた離島だ。2008 年に廃校危機を迎えた隠岐島前高校が、2010 年から島留学制度を導入して全国から生徒を募集。2016 年には全校生徒 180 人のうち 86 人が島外出身者となり、「学校のある島」という価値が全国に知られるようになった。
  • 移住の背景には自治体の子育て支援もある。出産準備金 15 万円・出産祝い金(第 1 子 10 万円〜第 4 子以降 100 万円)・0 歳〜18 歳の医療費無料という制度が整備されている(2024 年時点)。2004〜2014 年度末の 11 年間で I ターン定住者は 326 世帯 483 人、定着率 50.2%(総務省資料)。現在、島民の約 2 割が I ターン者とされる。
  • 「海士町の成功」を単純化することには慎重であるべきだ。人口は 2010 年の 2,374 人から 2024 年には 2,196 人へと漸減が続いており、全体的な人口減少は止まっていない。それでもなお、人口のスケールとしては極小の離島が「高校教育の質」で日本中の移住検討者の視野に入るという現実は、「教育で街を選ぶ」という問いの可能性を示している。

廃校寸前の高校が、離島を「選ばれる場所」に変えた

2008 年、島根県隠岐郡の離島に立つ県立高校は、全校生徒 89 人にまで減っていた。島前地域(海士町・西ノ島町・知夫村)唯一の高校、島根県立隠岐島前高等学校。1 学年 1 学級を切りかねない規模で、廃校の議論が現実味を帯びていた。

その危機感から動き出したのが「隠岐島前教育魅力化プロジェクト」だ。2008 年に三町村の行政・議会・保護者・同窓会が一体となって発足した会が、2010 年度から「島留学」と銘打った全国募集枠を設定する。全国の中学生が、この離島の高校への進学を選べるようにした。

結果は、数字に表れた。2016 年には全校生徒が 180 人まで回復し、そのうち 86 人が島外出身者だった(島根県立隠岐島前高校 公式)。廃校寸前だった高校が、8 年で生徒数を倍増させた。

「この高校に通わせたい」という動機で移住する親たち

学校が回復し始めると、想定外の波及が起きた。子どもの進学に合わせて、家族ごと移住してくる人が現れたのだ。高校生の寮生活・ホームステイを通じて島の暮らしを体験した親世代が、移住を決意する流れも生まれた。「教育移住」という言葉がまだ一般的でなかった時代に、海士町はその現象を先取りしていた。

島留学制度と並行して、海士町は移住政策を進めていた。2002 年に就任した山内道雄町長(2002〜2018 年)のもとで、財政再建と産業振興・移住促進が同時に進められた。2004〜2014 年度末の 11 年間で I ターン定住者は 326 世帯 483 人に達し、定着率は 50.2%(総務省資料・自治総研通巻 456 号 2016 年)。現在では島民の約 20% が I ターン者とされている(nippon.com)。

子育て支援の制度面でも独自の手厚さがある。出産準備金 15 万円、出産祝い金(第 1 子 10 万円・第 2 子 20 万円・第 3 子 50 万円・第 4 子以降 100 万円)、0 歳から 18 歳卒業まで医療費無料という制度が整備されている(2024 年時点、くらしまねっと)。島内唯一の保育所「けいしょう保育園」の定員(80 人)に対して入所希望が増加したことも、移住の実態を示す変化として報告されている。

「ないものはない」という哲学と、子育ての意味

海士町のキャッチフレーズは「ないものはない」だ。この言葉には二つの意味が込められている。「ここには何もない(だから都会に出て行くしかない)」という諦めの言葉と、「ないものはない=あるものでじゅうぶんだ」という肯定の言葉。海士町はあえてその両義性を引き受けた。

「ないもの」は確かにある。コンビニは長らくなかった(近年は進出)。高速道路も新幹線もない。本土まで船で数時間かかる。医療機関はひとつの診療所が支える。それでも、親が「この環境で子どもを育てたい」と思う理由が生まれた背景には、「学校」という核があった。

隠岐島前高校が作ったのは、単なる全国募集枠ではない。地域で課題を発見し、地域住民と協働する授業設計、多様な出身地の生徒が混在する寮生活、離島という「制約」を学びの素材にしたカリキュラム。都市の高校にはない「ここでしかできない経験」が、全国からの生徒を引き寄せる力になった。親世代にとっても、その教育環境は移住の決め手になりうるものだった。

一つの街が示した、問いの広がり

隠岐島前高校から始まった島留学モデルは、全国に波及した。2017 年には全国展開の枠組みが整い、2023 年時点では 100 校超が類似制度を導入している(LIFULL HOME\'S)。「地域みらい留学」という全国プラットフォームが生まれ、農山漁村の高校が都市の子どもを受け入れる仕組みが整備された。

ひとつの町が問い直したのは「教育の場所を、どう選ぶか」という問いだった。偏差値や進学実績ではなく、「どんな環境でどんな大人に囲まれて、何を経験するか」で高校を選ぶ。その発想が、全国の親の選択肢を静かに広げた。

海士町の人口は現在も漸減している。2010 年の 2,374 人(国勢調査)から 2024 年 1 月時点で 2,196 人(住民基本台帳)。全体的な人口減少は止まっていない。それでもなお、2,200 人規模の離島が「教育の質」で全国から注目され、子育て世代の移住先の選択肢に入っている。数字が示すのは「勝利」ではなく、「別の軸の可能性」だ。

子育ての街を選ぶ、もう一つの軸

「子育てしやすい街」を探すとき、多くの人は待機児童数、保育所の数、医療機関へのアクセスを調べる。それは正しい。しかし海士町が見せたのは、もうひとつの軸の存在だ。「子どもがどんな学校で、どんな仲間と、どんな経験をするか」という問いで街を選ぶことができる、という現実だ。

すべての家族が離島を選ぶわけではないし、選ぶべきでもない。海士町の事例は「ここに来い」という勧誘ではなく、「教育環境で街を選ぶ視点を持ってよい」という示唆だ。全国 1,912 の市区町村それぞれに、その街ならではの教育の文脈がある。海士町はその問いを最も鮮明に言語化した街のひとつだと、私たちは考えている。人口が減っても、子育てしやすい街がある。という視点とあわせて読んでほしい。

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よくある質問

隠岐島前高校の「島留学」とはどんな制度ですか?

島根県立隠岐島前高等学校が 2010 年度から導入した、全国の中学生を対象とした全国募集制度です(「島留学」はキャッチコピー)。離島三町村(海士町・西ノ島町・知夫村)が運営する魅力化プロジェクトと連動し、2016 年時点では全校生徒 180 人のうち 86 人が島外出身者でした。生徒は寮や民泊ホームステイで生活しながら通学します。この仕組みは全国に波及し、2023 年時点で 100 校超が類似制度を導入しています(LIFULL HOME'S 調査記事より)。

海士町の人口は移住政策で増えたのですか?

移住政策が人口の急激な減少を「緩和した」というのが、より正確な表現です。海士町の人口は 1950 年のピーク(6,986 人)から継続的に減少しており、2024 年 1 月時点では 2,196 人です。一方で、2004〜2014 年度末の 11 年間で 326 世帯 483 人の I ターン定住者が生まれ(総務省資料)、現在では島民の約 2 割が I ターン者とされています。「人口が増えた」ではなく、「移住という選択肢が生まれた」という変化です。

海士町に移住して子育てする場合、具体的にどんな支援がありますか?

2024 年時点で確認できる制度として、出産準備金 15 万円・出産祝い金(第 1 子 10 万円・第 2 子 20 万円・第 3 子 50 万円・第 4 子以降 100 万円)・0 歳から 18 歳卒業までの医療費無料があります(海士町公式・くらしまねっと)。保育料は第 3 子以降無料。なお制度は改廃される可能性があるため、移住を具体的に検討する際は海士町の移住相談窓口に直接確認することを勧めます。

出典・注釈

  • 海士町公式サイト 隠岐島前教育魅力化プロジェクト
  • 島根県立隠岐島前高等学校 公式サイト 島留学
  • 総務省「地域資源を活用したまちづくり」資料 / jstage「海士町における地域づくりの展開プロセス」(自治総研通巻 456 号 2016 年)
  • e-Stat 住民基本台帳人口移動報告(総務省、2024 年公表)
  • nippon.com「島民の 2 割が移住者:眠った『宝物』を探せ!若者を引き付ける隠岐・海士町」
  • LIFULL HOME'S「島留学、『地域みらい留学』からみらいハイスクールへ」
  • くらしまねっと 海士町(島根県移住情報ポータル)
  • 注:海士町の人口データは、年次・出典(国勢調査 vs 住民基本台帳)によって数値が異なる。本記事では国勢調査 2020 年(2,267 人)と住民基本台帳 2024 年 1 月(2,196 人)を明記して使用している。
  • 注:I ターン定着率・世帯数データは 2004〜2014 年度末の集計(自治総研 2016 年)。最新値については海士町公式または総務省 RESAS で確認のこと。
  • 注:子育て支援制度の各数値は 2024 年時点の情報に基づく。制度内容は改廃される可能性がある。