舞台じゃないのに、聖地になった街がある。
— 須賀川・境港・横手・宇部・日田、そして板橋区の「ねじれ」
当サイトの聖地データ 50 都市 67 作品を関係性で数え直すと、舞台 59 件、モデル地 3 件、そして原作者出身地 6 件という内訳になった。この 6 件だけは、作品の中にその街が一度も出てこない。須賀川、境港、横手、宇部、日田、そして板橋区——シーンの中に立つ聖地ではなく、作者が生まれた場所という別の回路でできた聖地だ。エヴァンゲリオンが箱根・浜松・宇部という三つの街に紐づいている理由を並べると、この違いがよく見える。巡田コトが辿った、舞台のない聖地の話。
この記事の結論(3行)
- 当サイトの聖地データ 67 作品を関係性で分けると、舞台 59・モデル地 3・原作者出身地 6。原作者出身地の 6 件は、作品の中にその街が一度も登場しない、成り立ちの違う聖地である。
- 舞台の聖地はファンが画面と現地を照合して「見つける」ことができるが、出身地の聖地は自治体か作者本人が名乗らない限り、手がかりが存在しない。須賀川市の円谷英二ミュージアム、境港市の水木しげるロードは、街の側の意思表示から始まっている。
- エヴァンゲリオンは 3 都市に紐づくが、箱根町と浜松市は「舞台」、宇部市だけが「原作者出身地」。同じ作品でも街との関係はまったく違う形をしている。板橋区は清野とおるの出身地でありながら、代表作の舞台は隣接する北区赤羽という「ねじれ」を持つ。
「舞台」と「出身地」は、別の生き物だ
聖地には、作品が指差す場所と、作者が生まれた場所という、成り立ちの違う二つの回路がある。当サイトの聖地データで関係性を数えると、舞台 59 件、モデル地 3 件、原作者出身地 6 件という内訳になる。舞台とモデル地は、作品の中のカットや設定が現実の風景と対応することで成立する。ファンが画面と現地を照らし合わせれば、聖地は「見つかる」。
だが原作者出身地は違う。須賀川市・境港市・横手市・宇部市・日田市・板橋区——この 6 件は、作品の本編にその街の名前や風景が一度も登場しない。作品ではなく、作者の来歴そのものが聖地の根拠になっている。
出身地の聖地は、名乗らなければ始まらない
舞台の聖地はファンが自力で発見できるが、出身地の聖地は自治体か作者本人が「ここです」と宣言しない限り存在しない。舞台の聖地巡礼は、ファンの側から始まる。作中のカットと現地の一致を見つけ、共有し、聖地として広まっていく。ところが出身地には、画面上の手がかりが何もない。
須賀川市がウルトラマン銅像を街中に並べ、円谷英二ミュージアムを建てなければ、「円谷英二の街」という情報はファンの手の届かないところにあり続ける。境港市が水木しげるロードを整備しなければ、水木しげるの故郷は観光地図に載らない。出身地の聖地は、ファンの発見ではなく、街の側の意思表示から始まる聖地だ。
須賀川と境港は、街ぐるみで「原点」を引き受けた
円谷英二の須賀川市と水木しげるの境港市は、出身地という関係性を最も深く自分の物語として引き受けてきた例だ。須賀川市は、1901 年生まれの円谷英二の出身地であることを軸に「M78星雲 光の国」と姉妹都市提携を結び、市内に円谷英二ミュージアムと須賀川特撮アーカイブセンターを整備した。当サイトのデータでは、須賀川市のウルトラマンシリーズは「原作者出身地」に加えて「舞台」の関係も持つ、6 件の中で唯一の二重タグになっている。
境港市は、1922 年に水木しげるが生まれた港町だ。境港駅から水木しげる記念館まで約 800m の水木しげるロードには 177 体を超える妖怪ブロンズ像が並び、境線にはラッピング列車が走る。どちらもアニメツーリズム協会の 88 選に認定された、公認の出身地聖地である。
宇部と日田は、もっと個人的で、もっと新しい
庵野秀明の宇部市と諫山創の日田市は、作家自身の記憶が名指しで作品に接続された、比較的新しい出身地聖地だ。宇部市出身の庵野秀明は、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のラストシーンに故郷の宇部新川駅を登場させた。フィクションの舞台としてではなく、監督の個人的な記憶の着地点として、実在の駅が画面に現れた瞬間だった。市制 100 周年と劇場版の興行収入 100 億円突破が重なり、宇部市は「まちじゅうエヴァンゲリオン」コラボを複数回実施している。
日田市については、連載 10 周年を記念したクラウドファンディングで約 2,970 万円が集まり、大山ダム下流広場に少年期のエレン・ミカサ・アルミンの銅像が建立された。94 メートルの堰堤がウォール・マリアのように聳え、「進撃の巨人 in HITA」ミュージアムでは諫山創の創作の軌跡を辿ることができる。作品の舞台は日田市ではない。ただし、その作者が育った土地である事実は揺るがない——データベースのこの一文が、出身地聖地の性格をよく言い表している。
ここで面白いのが、エヴァンゲリオンが当サイトのデータで 3 都市に紐づいている点だ。箱根町は第三新東京市のモデルとしての「舞台」、浜松市も「舞台」、そして宇部市だけが「原作者出身地」。同じ作品でも、街との関係はまったく違う形をしている。
板橋区と北区は、出身地と「暮らした街」がねじれている
清野とおるの生まれは板橋区だが、代表作の舞台は隣接する北区赤羽であり、板橋区自体には作品に紐づく場所がひとつもない。清野とおるは板橋区志村の出身だが、2003 年の冬から赤羽に住み始め、そこで出会った人々や出来事を描いた実話エッセイ漫画『東京都北区赤羽』(2008 年〜)を生んだ。続編『ウヒョッ! 東京都北区赤羽』へと続き、2015 年にはテレビ東京が『山田孝之の東京都北区赤羽』としてドラマ化している。
だから北区の関係は「舞台」——実際に住んで書いた街だ——であり、板橋区の関係は「原作者出身地」のみ。当サイトのデータでも、板橋区のエントリには物語の記述が存在しない。生まれた街と、住んで書いた街が、隣同士でねじれている珍しい例だ。なおこの 2 件はいずれも 88 選には含まれない、当サイト独自の補足データである。
そして赤羽について、ひとつだけ書き添えておきたい。舞台になっているのは特定の観光名所ではなく、商店街や居酒屋といった日常の生活圏そのものであり、作中に登場するのは今もそこで暮らす実在の人々だ。だからこの街は、他の聖地以上に「見物に行く場所」ではない。歩くなら、まず一人の客として店に入ってほしい。
舞台がなくても、なぜ人は訪れるのか
出身地の聖地を訪れるファンは、シーンの再現を求めているのではなく、その作品を生んだ想像力の水源に触れようとしている。正直に言うと、宇部新川駅がシン・エヴァンゲリオンのラストに映ったときの感覚を、私はうまく言葉にできない。あれは舞台探訪の高揚とは違う、もっと静かな感情だった。
作品が一度も名指ししない街に立って、それでも「ここから始まった」と思えること。須賀川のウルトラマン銅像の前に立つファンも、境港の妖怪ロードを歩くファンも、日田の少年期エレンの銅像を見上げるファンも、たぶん同じ種類の感情を抱えている。舞台のない聖地は、作品の中身ではなく、作品を生んだ人間の輪郭を確かめに行く旅なのだと思う。